2006年8月31日(木)のミーティングでは、7月8日に起きた新木場夢の島公園での少年らによる男性同性愛者への暴行・強盗事件のディスカッションが行われた。
(事件の概要:http://gayjapannews.com/news2006/news301.htm)
この事件は六年前に同公園で起きた『新木場事件』の再発といえるもので、ゲイコミュニティ内に衝撃が走り、SNSやブログなどではこの事件に対する意見や議論が飛び交った。
しかし、この事件について報道するマスコミは大手新聞では産経新聞のみ。他は一部のスポーツ新聞やインターネット上での報道がされただけであった。その報道のされ方にしても、「ゲイ」「全裸で徘徊」「野外ハッテン」などといった部分が強調され、好奇の目で書かれた記事が多く、事件の本質を見えにくくしているものが多い。
今回のディスカッションでは、新木場事件がなぜ再び起こってしまったのか、この事件の報道のされ方やゲイコミュニティ内外、特に当事者であるゲイがどのようにこの事件について考えていくのかといったことが話し合われた。
まず、今回の事件をセンセーショナルにゲイバッシングとして位置づけることに疑問を呈した意見があった。今回の事件は「ゲイ」だから狙ったというよりも、加害者が狙ってもよいと思う対象の中の、「ホームレス」や「外国人」などに並んでいる「ゲイ」がたまたま狙われたのではないか。つまり、今回のいわゆる「ホモ狩り」とホームレス狩り、外国人狩り、おやじ狩りなどは対象が違うだけで、加害者が対象を襲う意識に大差はないのではないかという意見だ。日本には欧米にあるホモセクシュアルパニック(同性愛者に激しい嫌悪感を抱き、暴行および殺人を犯すこと)が起きるような激しい嫌悪感を持つ人は少なく、世間一般に蔓延している「当たり前の」ゲイフォビアが、今回の事件は被害者がゲイであることからたまたま発露したのではないか、と。
それに対して、その当たり前に蔓延している世間の意識、考えこそを「日本のゲイフォビア」としてしっかりと位置づけ、この事件は明らかにゲイバッシングであるとはっきりと主張するべきだという意見が出た。確かに、社会的弱者といわれる者を襲うという点ではホームレス狩りや外国人狩りと共通する。が、今回の事件から私たちセクシュアルマイノリティーズが学ぶべきことは何か、二度と同じような事件が起きないためにはどうすればいいか、と考えたときにはやはり「ゲイバッシング」であることを認識する必要があるという意見だ。
この事件の焦点となるべくことは、各スポーツ紙などが強調していた「被害者が全裸でハッテン場を徘徊していた」ことではなく、加害者である少年らが「ゲイなら(襲っても)警察に届けないと思った」と供述していることから分かるように、日本における同性愛者のカムアウトしづらい状況をあざとく利用した卑劣な犯行だということである。この事件は明らかに同性愛者に対するヘイトクライムだ。
そして一番の問題は、この事件に対して自覚を持ち、危機感を抱くゲイがあまりにも少ないということだ。野外ハッテンをするリスクの問題と、ヘイトクライムの問題を混合して考え、「野外ハッテン場に行く人にも責任がある。野外ハッテンに行く人がいる限り、このような事件はまた起こるだろう」という意見がゲイコミュニティ内でも少なくないのが実状だ。私もそのうちの一人であった。
先日Aktaで行われた「新木場事件を考える」というイベントに参加したメンバーからは「この事件を自分たちの問題として考えていない人が多かった」と感想を述べた。
この事件は野外ハッテン場を利用する人たちだけの問題ではない。野外ハッテン場を利用していたから、全裸だったから被害者は襲われたのではない。被害者はゲイだから襲われたのだ。つまりこの事件は野外ハッテン場のみで起こるものではなく、二丁目でも、また日常生活上でもゲイだとカムアウトしている場や、自分の意思に関係なくゲイだと推測されてしまう状況(野外ハッテン場を利用することはそのリスクを伴っている)で十分に起こりうるものだ。
このコンセンサス(共通認識)がゲイコミュニティ内で形成されていないことが大きな問題だということを、今回のディスカッションで一同は自覚した。実際、ディスカッションをする以前は私を含め「この事件は野外ハッテンする人の問題」だと考えていたゲイのメンバーが多くいた。
このような事件が二度と起こらないために、私たちができることとは何か意見を出し合い、今回のディスカッション参加者内では次のような意見でまとまった。
まず第一に、ゲイコミュニティ内で多くの人がコンセンサスを持つこと。それを踏まえ、マスコミの報道の仕方やそれに同調してしまう社会に対し反ゲイフォビアを訴えていくこと。
セクシュアルマイノリティーズが自分のセクシュアリティを隠すことなく、自分らしく生きていける社会に変えていくためには、自分たちに何ができ、どう変わるべきなのかを考え、話し合っていかなければいけない。今回のディスカッションはそのための非常に有意義な機会となった。
(Ryuya Yajima)


